gallery 日本風景(Japanese scenery)
<肥後国(熊本)の画像集 > Higo Kuni - Kumamoto Pics
八代神社(妙見宮)、幣立神宮(幣立神社)、加藤神社、熊本城、日奈久温泉
【加藤神社】
加藤神社とは言うまでもなく、加藤清正公を祭った神社です。1武将を御祭神としているという他にはあまり無い神社です。
他に武将を御祭神にしている神社と言えば日光東照宮。日光東照宮は徳川家康公を御祭神としていますね。
加藤清正公【永禄五年(1562)〜慶長十六年(1611)】 は、 戦国時代の『智仁勇兼備』の模範的武将として、また、熊本
に於ては、日本三名城・日本三堅城の一つである熊本城の築城と、それにははじまるところの富国安民の国づくり政策を
推し進めました。
それは、全県下に亘る土木・治水工事をはじめ、干拓・開墾植林・交通の便の為の街道づくり、焼物等幾多の国の発展の
礎となる産業の奨励保護、学問の奨励・文化の開拓等と一つひとつ列挙すれば限りない程の偉業であります。
さらに武将としての清正公は、単なる勇しいばかりの武士でなくして、常に大義名分を重んじられると共に、上には忠と
義を以って、下には慈悲と情を以ってあたられた信仰心の豊かなお方です。
この様に、清正公の五十年の人生は、実に至誠にして高潔なる人格者であり、いつの時代に於ても尊崇敬慕されるにふさ
わしい理想的日本人であられるとともに、熊本県民にとっては、熊本発展の礎となる有形無形の役割を果された大恩人と
して親しまれています。
加藤家の紋は清正の甲冑(かっちゅう)に用いられている「蛇の目(じゃのめ)」が有名ですが、「桔梗(ききょう)」紋も用いて
いました。
天正16年(1588年)清正は肥後北半国19万5000石の領主に任じられ、その際、清正が肥後に赴くにあたり、秀吉は前年に
改易した讃岐の尾藤知定の武具・調度一切を清正に与えました。その尾藤家の紋が「桔梗」。清正は桔梗紋の入った武具・
調度をそのまま使用ためという説が一般的には知られています。
はたして、それだけでしょうか。いえいえ実際は、そんな単純な話ではございません。
加藤清正が治めた熊本藩を加藤家の次に治めることになったのが細川家。
その細川家に嫁いだのが、絶世の美女・細川ガラシャ夫人。ガラシャ夫人は、明智光秀の娘です。
加藤清正は用途に応じて家紋を使い分けていましたが、慶事には全て『桔梗紋』を使っていました。智積院にも『蛇の目』で
はなく『桔梗紋』が用いられています。
清正の祖母が美濃刀匠・関清次郎兼吉の娘であり、清正の母「いと」が美濃刀匠・関弥五郎兼員の娘。
加藤清正のルーツは美濃。明智光秀のルーツも美濃。
明智光秀もまた『桔梗紋』です。
明智光秀の実の父親は相州の某刀匠の・・・
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